小さ絵描き『酔蘭』 ここまでのあらすじ |
1971年冬 |
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何の因果かこの世に人として生まれ出る |
幼少期 |
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鉄工所に勤めていた父が会社から持ってくる、いらなくなった設計図の裏に絵を描くようになる。 小学校に上がる前から道東の海域で北海道の漁師さんがソ連軍に拿捕される絵とか描いてた…orz |
1979年 |
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学校で校長先生の指導のもと描かされた絵が「国際児童年記念日ソ両国児童生徒交流絵画展」とやらでハバロフスクへ旅立つ。 実はこの校長先生、大丸藤井セントラル7Fのスカイホールで個展が開けるほどの芸術家だった。 |
1986年 |
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修学旅行先にて 津軽凧絵の指導員のおじさんに「男の子だったら跡継ぎに来てもらうのに…」と微妙に女性蔑視な言葉で褒められる。 今にして思えば、あの時のおじさんの言葉が「絵で食っていきたい」と思った原動力かも。お元気でいらっしゃるだろうか…震災もあったし、心配です。 |
1988年 |
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部活を掛け持ちしていた高校時代。 学校祭で漫研のブースにイラストを何点か出したら全部売れてびっくり。絵画に対する購買欲は「上手か下手か」ではなく「個性的かどうか」で決まるんだと知る。 |
1990年 |
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短大で、単位をとるためだけに受講していた美術(油絵)の実習中、先生に「プロゼミに来ないか」と勧誘される。 油絵で食ってけるようになるまでの準備金がないしなーと思い、断る…のっかっとけばよかったかしら。 |
1990年代 半ば〜後半 |
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印刷会社に就職し、ものすごく色々なことを学ぶ。糧となることもあり、反面教師にするべきものもあり… それでも一介の組版オペレーターの立場で、お客さんから「指名」が入るまでにセンスを磨けたのは大きな財産といえる。 ていうかなんでお客さんが私の名前知ってんのよ、担当営業。 |
2001年秋 |
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今も足向けて寝られない程ものすごくお世話になっているテンプレートBANKの年賀状イラストコンテストにて入選。 |
2003年春 |
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現在の勤め先に入り込む(9時から17時まで働いてるけど一応パートタイマー)。 |
2011年 |
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食い扶持を稼ぐために入った会社でもそこそこ結果を出し、酔蘭名義でもちょいちょい売り上げがあり… 絵描きとしては全然未熟だけど、こういう経歴もアリなんじゃないのと開き直れるようになった今日この頃。 とりあえず被災地応援の気持ちをこめて、石巻の職人さんが作った硯をGETしました。精進します。 |
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ペンネームの 由来 |
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のんべーなので「酔」。 12月生まれなので、12月の誕生花「蘭」。 で、酔蘭。この名前をペンネームとして使う前にネットで調べてみたら、植木鉢の名前で酔蘭というのがあるみたいです。 |
好きな画家 |
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鈴木英人 サルヴァドール・ダリ 葛飾北斎 |
好きな色 |
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1.青 2.緑 3.茶色 |
目 標 |
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銭函の海辺にギャラリー兼アトリエ兼自宅を建てる。 1階はギャラリーで、無料開放。自販機とベンチを置いておいて、夏場は海の家として営業。で、2階がアトリエ兼自宅。 |